ホーム > ギャラリー > 機関車図鑑 > ED75形電気機関車
  • 画像1
  • 赤べこと呼ばれて親しまれた東北の雄
    ED75形電気機関車は交流専用の機関車で、1963年の国鉄常磐線(勝田−平)の電化に合わせて試作車の1号機と2号機が勝田電車区に新製配置されました。運用区間は土浦−平でしたが、同時にEF80形電気機関車も投入されたため、短距離の貨物列車や客車列車の牽引に留まります。
    その後、東北地方で電化が進むと国鉄東北本線を中心に運用が拡大し、国鉄奥羽本線・国鉄羽越本線向けの700番代や国鉄東北本線向けの1000番代が登場。さらに九州向けの60Hz専用300番代、北海道向けの500番代が登場するなど、活躍の範囲は全国の交流区間に広がります。

    JR化後に国鉄からJR東日本へ700番代と1000番代が継承されましたが、2024年現在では仙台車両センターの757〜759号機の3両と、秋田車両センターの767・777号機の2両の合わせて5両が残るだけで、東北地方の配給列車や臨時客車列車の牽引くらいでしか走ることはありません。
    ちなみにJR水戸線の小山−小田林は直流方式ですから、当然ED75形は走れないので縁は無さそうに思えますが、過去に何度か団体列車として川島駅(結城駅?)までの入線実績があるそうです。
  • 画像2
    画像3
  • EH500形への置き換えと東日本大震災、そして終焉
    2000年にJR貨物のED75形の置き換え用としてEH500形電気機関車の量産が始まりますが、貨物列車は依然としてJR東北本線では黒磯駅でED75形から直流専用のEF65形電気機関車などへ、JR常磐線でも水戸駅で交直両用のEF81形電気機関車への付け替え作業が行われていました。しかし2009年3月には黒磯口での運用が終了し、2010年3月には水戸口も3往復の貨物列車を残すのみとなりました。この頃からJR常磐線でもEH500形の試運転が始まり、いよいよED75形も終わりかとささやかれ始めました。そして2011年3月11日を迎えます。
    東日本大震災においては、沿線火災の影響で約40分の遅れで浜吉田駅を通過した札幌貨物ターミナル発隅田川行きの92レが山下−浜吉田(日暮里基点327km384m)で緊急停車しました。このときの牽引機だったED75形ラストナンバーの1039号機は15時05分ごろに津波にのまれるも、辛うじて線路上に踏みとどまり機関士1名の命を守りました。詳細はJTSB 運輸安全委員会の鉄道事故調査報告書で閲覧が可能です(鉄道の報告書検索から、キーワード検索で「常磐線 浜吉田」で検索)
    津波で流された貨物の一部が支援物資に当てられるなど、1039号機の功績をたたえるために保存などの話もあったそうですが、海水に浸かってしまったことなどもあり11月に現地解体となりました。
    このほか、114号機が水戸駅に取り残されましたが、震災から半年後の9月下旬にEF510形に牽引されてJR東北本線経由で仙台へと戻って行きました。

    震災以降、JR貨物のED75形は仙台地区で細々と運転されるも、2012年3月で全ての運用が終了。最後まで仙台鉄道総合部に残った100番代4両と1000番代3両は同年6月までに全車が解体されました。JR貨物の機体は残ってませんが、国鉄が北海道に唯一投入した501号機が小樽市総合博物館に、JR東日本の775号機が鉄道博物館に収蔵されています。

    ※小樽総合博物館に展示されていた501号機はPCB処理作業により完全に解体される予定でしたが、保存される方針です。なお、公開の再開は2025年度以降の予定です。

inserted by FC2 system