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水戸線はほとんどの駅で荷役を行っていましたが、特に下館駅は栄えていた時代があったほか、関東鉄道でも貨物を取り扱っていた時期があったため、比較的規模の大きい貨物ターミナル駅でした。駅構内の東側にあった貨物線の一部は現在も残っていますが、荷役線は月極め駐車場、コインパーキングになっています。

歩道橋の上(荷役線)
  • 貨物線1
  • 下館駅北口を出て右側の歩道橋を上がり、エレベーター付近から岩瀬方面を見るととても良い景色が広がります。そこで下にある駐車場を見てほしいのですが、奥がJR貨物が管理する月極め駐車場、手前が民間のコインパーキング(以前はJR東日本のパーク&ライド)になります。そこにかつて3本の荷役線がありました。本線に近い側の2本は駅舎(下りホーム)手前まで線路が伸び、駅舎の隣には倉庫も建っていたようです。一番外側の線路は短く、月極め駐車場とコインパーキングの境が末端で、線路脇で荷の積み下ろし作業が行われていたようです。駐車場の真ん中に架線柱が立っていることも、そこに線路があって電化されていた証です(一番外側の線路は非電化なので、架線柱の外側にあったことも分かります)
    荷役線と一括して紹介していますが、貨物1〜3番と言う名称があったようです。
村田街道踏切(水戸線16K446M)
  • 貨物線2
  • 歩道橋を降り、新治側に向かってすぐの場所にある村田街道踏切から貨物線を確認できます。
    まず駅のほうを見るとポイントが見えます。一見すると下り線の安全側線にしかみえませんが、実はここが貨物線との分岐点です。踏切付近の線路は撤去され、バラストが線路より1段高く敷かれて安全側線に転用されています。貨物1番は貨物線の延長線上(下りホーム側)にあって、補足画像でも架線ビームが線路のあった駐車場にまで伸びているのがよく分かります。
    画像2-1
  • 貨物線3
  • 踏切の新治側には貨物線の線路が残ってます。よく見るとここにもポイントがありますが、こちらは貨物2・3番への引き込み用のポイントです。また、写真の一番手前の架線柱の先にもJR水戸線と貨物線の渡り線がありましたが、JR水戸線側のポイントは撤去されています。
    ちなみに踏切のすぐ脇が橋梁になっているのですが、一昔前まで用水路が流れていました。下中山地内の五行川に架かる中島橋の北方に取水部分があり、現在のかましん下館店のど真ん中を流れて水戸線の下を通り、駅南にあった広大な田んぼに水を引いていたようです。1976年ごろには綺麗に護岸整備もされていたようですが、1980年までには埋め立てられて橋だけが残っています。
    画像3-1
下岡崎一丁目(貨物線)
  • 貨物線4
  • 村田街道踏切は渡らず住宅街に入り、筑西市立中央図書館へ向かう道とJR水戸線が平行している所から貨物線を容易に見ることができます。ただし夏場は草ボーボーで、その後も草刈がされていないと見るのは難しいと思います。標識等も残っていて、草が覆い被さっていなければ難なく見れると思います。
    図書館駐車場の案内板の近くには1990年頃まで歩行者用の踏切があり、貨車の入換を間近で見れたようです。下岡崎跨道橋には銘板がありますが、よく見ると設計がJR貨物になっています。
    ※所々に残っていた入換信号機は、2015年以降に全て撤去されています。
    画像4-1 画像4-2 画像4-3
筑西市立中央図書館前
  • 貨物線5
  • 貨物線は筑西市立中央図書館の前で五行川に突き当たって終わります。ここも草ボーボーでなければ、車止めと入換信号機を見ることができます。
    ミツウロコの専用線のポイントがあった付近から末端まで電化された痕跡がありませんが、貨物線用の架線柱は線路の北側に立っていて電化されていました(ミツウロコのページでも説明します)
    ※入換信号機の残存については調査中。
    画像5-1
調査日:2013年5月3日
2013年5月12日
2016年5月21日(写真差し替え)
2023年9月16日(記事修正)

※撮影は歩道橋、歩道、車道からです。

※下館駅構内の上り第二・第三場内については今のところ取り上げる予定はありません。また、常総筑波鉄道の機回し線、1958年ごろに現在の富士見橋と下妻街道踏切の間に存在したらしい常総筑波鉄道の留置線のようなものは、JR水戸線には関わりがないため取り上げません(留置線のようなものは同年代の空中写真で探しましたが見当たりませんでした)



詳しい地図はこちらをご覧ください(下館駅周辺の廃線をひとつの地図に集約し、線区別にレイヤーを分けてあります)
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