ホーム > 特集 > 廃線めぐり > 上河原線

川島駅と鬼怒川左岸の川砂利採掘場を結んでいた専用線がありました。昭和30年ごろにはすでに敷かれていて、後にそこから日本コンクリート工業の各専用線が派生しています。そしてビックリなことに水戸線電化に伴ってすごい所まで電化されていました。昭和50年代初頭に川砂利の採掘が禁止(制限?)されると使われなくなり、昭和60年代初頭に撤去されたようです。

日本コンクリート工業ポール線分岐点
  • 上河原線1
  • 川島駅構内から日本コンクリート工業のサイロ線、ポール線に繋がる貨物線は、元々は鬼怒川で採掘された川砂利を運搬するため上河原線として開業しました。ここに至るまでは日本コンクリート工業のページをご覧ください。
    以前は鬼怒緑地公園内の手前に農道があり、そこを通って上河原線に合流することができましたが、現在は堤防工事によって農道が無くなり状況は不明です。
    写真は2013年5月にポール線と貨物線の分岐点あたりから上河原線を撮影。どうみても農道ですが、ここに線路があって最盛期には電化もされていました。
農道
  • 上河原線2
  • 残念ながらここは堤防工事によって分断され、残された鬼怒緑地公園側の跡地もきれいに整地されて痕跡が分からなくなっているようです(要再調査)
    写真は2013年5月に、ポール線を見るために入ってきた農道と上河原線の合流地点から鬼怒緑地公園側を撮影したものです。ここから鬼怒緑地公園にかけては更地になっています。特段、手入れされているわけでもなさそうですが、周囲と比べて雑草は少なく、線路跡だった部分がよく分かります。少し開けた感じもしますが、それもそのはず。敷設当初は5本の線路がありました。その後、電化に合わせて3本になりました。
鬼怒緑地公園入口
  • 上河原線3
  • 鬼怒緑地公園へ向かう道路は舗装されていて歩道もあります。しかし歩道は鬼怒緑地公園の手前で途切れています。実はこれが廃線跡の痕跡で、歩道の無い場所から先が線路跡になります。2021年2月に訪れた際は護岸工事の区画外(私有地)にネットが張り巡らされていました。こうして保護されているの見ると護岸工事による消失は無さそうに思えましたが、堤防ができるとは思ってもみませんでした。
    補足画像は2018年3月末に撮影。こうして見ると何となく線路跡だったのも伺えます。奥に見える木から先が農道に転用され、日本コンクリート工業に突き当たったところが貨物線とポール線があったところになります。
    画像3-1
  • 上河原線4
  • 線路は鬼怒緑地公園の入口まで電化されていたようです。その先の終点部分は完全に藪に覆われていたものの、中に入る気力があれば行けないこともありませんでした。しかしいつの間にか柵が立てられて完全に立ち入り禁止となりました。写真は末端側、補足画像の1枚目は川島駅側を、それぞれ道路と立ち入り禁止の間の砂利道から撮影。その後は補足画像2枚目以降の通り、2018年ごろに護岸工事の資材置き場となりましたが、護岸工事が終わると開放されて再び藪に戻っているようです。なお、上河原線の終点はその中にあって、サッカーコートまでは伸びていませんでした。
    画像4-1 画像4-2 画像4-3 画像4-4
おまけ
  • 上河原線5
  • 鬼怒緑地公園の北端と護岸工事の資材置き場があった間の道を進むと、かつて川砂利を採掘していたと思われる場所にたどり着きます。陸側には採石や砂利を扱う会社があって、今も大きなプラントも残っています。しかしここではもう採掘していないようです。
    この辺りは国土交通省の管理下になっているようで、ここに来る途中に地中収納型のポールがあって、状況に応じて通行止めになる場合があります。普段は開放されていて周囲も藪に覆われているので分かりづらいですが、通行止めの際はポールを出してチェーンが設置されるみたいなので注意してください。
調査日:2013年5月12日
2018年3月25日
2021年2月11日
2021年5月3日(記事修正)
2023年9月1日(記事修正)

※撮影は車道、運動公園、国の占有地からです(農道は私有地もしくは共有地の可能性があります)

※施設名を日本コンクリート工業と紹介していますが、2023年7月時点でNC東日本コンクリート工業株式会社 川島第四工場となっています(日本コンクリート工業株式会社に属する企業です)



詳しい地図はこちらをご覧ください(川島駅周辺の廃線をひとつの地図に集約し、線区別にレイヤーを分けてあります)
inserted by FC2 system