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  • 701系についておさらい
    701系は盛岡や秋田地区に多く残っていた客車列車を置き換えるために1993年に登場しました。
    仙台地区においてはラッシュの妨げになっていた国鉄車両の改造車や急行形を701系で置き換え、東北地方の輸送サービス向上のための統一形式として、多くの路線に投入されました。JRから移管した、いわて銀河鉄道や青い森鉄道でも701系を若干リニューアルして運行しています。

    車両は2両編成で、ワンマン運転に対応するため整理券発行機や運賃箱などが設置されています。ラッシュ時には最大4本(8両)まで連結が可能となっている一方で、座席が全てロングシートのため閑散期に利用される人達からは東北地方に似つかわしくなくないなどと、評判はよくありませんでした。このため後にボックスシートに改造したり、増備車は始めからボックスシートとなっています。

    地域によって車両区分がいくつか存在し、最初に投入が始まった秋田地区は0番代、続いて秋田、仙台地区に100番代が投入されます。100番代と同時期に仙台、盛岡地区に投入された1000番代には4両編成も登場しました。さらに仙台地区には1000番代の増備として1500番代も投入されました。
    このほか、秋田新幹線の開業に伴うJR田沢湖線の標準軌化によって5000番代が登場。さらに山形新幹線の延伸に伴うJR山形線(山形−新庄)の標準軌化には5500番代が登場しています。
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  • 震災と701系勝田車誕生の経緯
    2011年3月11日に発生した東日本大震災では、JR常磐線は津波被害とそれに伴う原子力災害のためいわき−岩沼が不通となりました。幸いにも701系は磐城太田駅付近でF2-510編成だけが取り残された以外は被災して大破、故障した車両もなく、F2-510編成も原ノ町駅に回送されたあとはトレーラーに載せられて郡山総合車両センターまで陸送されました。

    震災から9ヶ月経った12月21日に原ノ町−相馬の運転が再開されますが、原ノ町駅に取り残されている415系1500番代(K534編成)はワンマンに対応しておらず、651系(K202編成)も特急車両なので当然運用に就くことはできません。そこで白羽の矢が立ったのが仙台車両センター所属のF2-18編成、F2-20編成、F2-25編成の3本でした。それぞれ郡山総合車両センターで整備を受けた上でK618編成、K620編成、K625編成となり、12月中旬から順次、トレーラーにて原ノ町駅に陸送されました。元々いわき駅まで顔を出していた車両でしたので、特に改造等は施されませんでした。
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  • 勝田車としての5年間
    2011年12月21日より原ノ町−相馬で運転を始めますが、陸の孤島となっているため検査期間の度に勝田車両センターに行くこともできず、かと言って郡山総合車両センターへわざわざ陸送するわけにもいかないので、原ノ町駅構内の原ノ町運輸区に検査場が新設されました。ただし汚物処理機能は無く、そのため車内のトイレは使用できませんでした。

    2016年春から小高−原ノ町の運転が再開される予定でしたが、避難指示の解除の都合などもあって7月12日から運転を再開。使用車両は701系勝田車が運用範囲を広げる形で補うこととなりました。そして2017年春の運転再開とされていた相馬−浜吉田は、復旧作業が順調に進んでいることから2016年末に前倒しとなり、12月10日に運転を再開。701系勝田車は前日の12月9日でその役目を終え、陸送ではなく線路の上を走って仙台車両センターへと帰っていきました。
    間もなくしてそれぞれ元の編成であるF2-18編成、F2-20編成、F2-25編成に復帰し、現在もJR東北本線で活躍を続けています。
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