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  • 485系
  • 国鉄特急電車の象徴
    都心部は直流電流、地方は交流電流で電化が進んだ後に都心と地方を結ぶ特急列車の本数が増え、電化方式が異なる区間を直通できる特急電車として西日本で60Hz対応の481系、東日本で50Hz対応の483系が導入されますが、1968年になって周波数を気にせず走れる485系が登場しました。製造は1979年まで続き、その数は約1450両にもなりました(横軽対応の489系含む)

    直流区間と交流区間を跨ぎ、さらに周波数も異なる西日本と東日本を横断する特急電車は大阪−青森を日本海沿いに走る特急「白鳥」(2001年3月2日廃止)しかありませんでしたが、汎用性の高さから四国を除く全国各地に配置され、国鉄からJRに変わった後も幅広く活躍することになります。
    勝田勝田電車区にも特急「ひたち」として在籍していましたが、1998年12月に651系とE653系に置き換えられて引退しました。ここでは2000年以降も勝田電車区に在籍した4編成を紹介します。

  • K40編成
  • 元ビバあいづ K40編成
    上野駅と福島県の会津若松駅を郡山経由で結んでいた特急「あいづ」の運転区間が1993年末に郡山−会津若松に縮小された際、名称を「ビバあいづ」に変えて車両も専用のものが導入されました。その車両が元勝田電車区の485系6両編成を改造したもので、3号車は会津地方の観光案内や物産品の展示を行うフリースペースになっていました。1998年にはフリースペースが座席に戻され、2002年11月末にはビバあいづ自体が廃止となります。その後、会津若松側のモハユニット2両を廃車にして4両編成化し、2003年3月に勝田電車区に戻ってきました。

    勝田電車区に戻ってきてから暫くはビバあいづ色のまま団体列車やJR水戸線の臨時快速列車などに充当されますが、1年間はヘッドマークが黒く塗りつぶされた状態で運転されました。2005年秋には先に塗色が変更されていたK60編成と同じくドルフィン塗装になりました。なお、K60編成の付属編成として扱われていたようで、号車番号は7〜10号車になっていました。
    JR水戸線の臨時快速「ぶらり桐生号」などでは一部自由席があり追加料金無しで乗車が可能でしたが、晩年は団体列車に徹し、2013年1月16日に郡山総合車両センターへ回送され廃車となりました。




  • K60編成
  • 北海道から来た K60編成
    北海道では交流専用の新型特急電車を導入予定でしたが、諸々問題が発生したため特別耐寒耐雪構造の485系1500番代を投入することになりました。22両(6両編成3本、4両編成1本)が1975年7月から特急「いしかり」として運転されますが、車両は青函連絡船で北海道へ運搬されました。
    485系自体、本州での運転を目的に設計されているため北海道の風雪には耐えられず故障が頻発し、1980年には新型特急電車に置き換えられて早々に北海道を去ることになります。全車両が一時的に青森運転所に転属し、後のK60編成はそこから上沼垂運転区(新潟)を経て2002年12月に勝田電車区にやってきました。

    勝田電車区に来てから1年余りは上沼垂色のまま団体列車や臨時快速列車などに充当されましたが、2003年末から白を基調に車体下部を水色とグレーで塗り分けたドルフィン塗装に変更されました。運転台の側面に描かれた3頭のイルカがトレードマークです。ちなみにドルフィンという名称が鉄道雑誌等で紹介され始めたのが2011年ごろからのため、当時は地元ではあまり浸透せず、勝田色やイルカと呼ばれて親しまれていました。他の1500番代が3000番代やジョイフルトレイン「彩」(長野車)に改造され、先頭車で原型をほぼ保っているのが新潟車両センターのT18編成(クハ481-1508)とこのK60編成のみということで、コアなファンにも人気がありました。

    K40編成同様、JR水戸線の臨時快速「ぶらり日光号」等では一部自由席があり追加料金無しで乗車が可能でしたが、その後は全車指定席の臨時快速列車や急行列車、団体列車として運行されました。まだまだ活躍してくれそうな雰囲気でしたが、波動運用をE653系に託すとK40編成の後を追うように2013年1月22日に郡山総合車両センターへ回送され廃車となりました。



  • K30編成
  • 時代に合わせて洋風からお座敷列車へ K30編成
    勝田電車区には81系和式客車の「ふれあい」が在籍していましたが、老朽化による置き換えとして1991年3月に183・189系と485系を改造したK30編成「リゾートエクスプレスゆう」が登場しました。登場時はバブル景気が丁度崩壊した時でしたが、世相を反映するようなネーミングセンスだけでなく、4号車は座席定員外のディスコカーになっているなど、車内設備も時代を象徴していました。

    就職氷河期など日本の経済が停滞していた1998年に空前のお座敷列車ブームが到来します。電化されていれば何処へでも乗り入れ出来る汎用性の高い485系が改造され、北関東では新前橋電車区に「やまなみ」、「せせらぎ」、小山電車区には「華」、「宴」が配置されました。勝田電車区でもK30編成の車内を洋風からお座敷に改造しました。ただ、4号車だけはディスコカーのまま残されます。
    そのディスコカーはダブルデッカー構造となっていて、2階にはなんと展望席がありました。1階はネオン輝くディスコ、2階は夜景を楽しむ展望デッキと、まさに「しゃれおつ」な車両でした。

    運転のほとんどは団体列車でしたが、たまにJR常磐線やJR水戸線でもグリーン車指定席の臨時快速列車や急行列車として運転されました。しかし人気は高く、指定席券はすぐに完売していました。
    お座敷列車ブームは2010年ごろまで続きましたが、車両の老朽化や「のってたのしい列車」への方針転換などによって数を減らし、K30編成も2018年9月5日に長野総合車両センターへ回送され、同車両センターの公開イベントでの展示を最後に解体されました。
  • K26編成1
    K26編成2
  • 485系を後世に伝える K26編成
    乗務員の訓練(異常時、故障時対応など)を目的として、訓練用に改造した車両を組成した編成が1991年に2本(8両)登場し、そのうちの1本(4両)が勝田電車区に配置されました。先頭車両は両サイドともボンネットタイプで、塗色は485系の標準だった国鉄特急色のままに窓下に2本の白線を入れて車体中央に訓練車と表記していました。また、ヘッドマークも「訓練車」でした。
    K26編成は上野・小山寄りの2両目が訓練用に改造された車両(モヤ484-2)で、車内の一部座席は取り払われて簡易的なミーティングルームとなっていて、ビデオ教材なども設置されていたそうです。

    1998年12月に特急「ひたち」の485系が全て引退した後でも勝田電車区に残り、2006年ごろまで乗務員の訓練に使用されてきました。このころJR東日本では東京都千代田区の交通博物館を取り壊して、さいたま市大宮区に鉄道博物館を開業させる準備が進んでいて、その展示車両のひとつとしてK26編成に白羽の矢が立ちました。展示に当たっては2007年2月17日に郡山総合車両センターへ入場し、訓練用に改造されたモヤ484-2が元の姿(モハ484-61)に復元されました。その後、上野・小山寄り先頭車のクハ481-26と併せて郡山工場を出場し、現在は鉄道博物館に展示されています。残る原ノ町側の2両は廃車となっています。

    鉄道博物館での展示においては、開館当初は休憩車両として車内での飲食も可能でしたが、屋外に183系ランチトレインが設置されてからは車内見学のみで、飲食は禁止となっています。
    そして何処の保存施設でも問題になっている悪戯や盗難被害ですが、鉄道博物館でも2018年末に元K26編成と455系が被害にあい、正月早々公開中止などの措置がとられました。施設の規模の大小に関わらず、何処の施設においても特に手で触れることのできる保存車両については大切に扱ってくれるようお願いします。
  • K100編成
  • 【おまけ】圧巻の485系10両 K100編成
    JR常磐線では5月から6月の修学旅行シーズンに合わせ、集約臨時列車が毎日のように運転されます。485系K40編成とK60編成が揃った2003年には両者を連結させたK100編成で運転されていました。それぞれの項で紹介したとおり、勝田電車区に来たときは転属前の塗色のまま運転されていたため、2003年は上沼垂色+ビバあいづ色、2004年と2005年はドルフィン+ビバあいづ色で運転されました。2006年からは両者ともドルフィン塗装に統一されたため、10両きちんと色が揃って圧巻でした。なお、非貫通構造のためK60編成とK40編成の間(6号車と7号車)の通り抜けはできません。

    東日本大震災のあった2011年にも変わらず運転されましたが、2012年6月7日の併結運転が最後となり、K40編成に至ってはそれが最後の団体列車充当となってしまいました。
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