ホーム > ギャラリー > 勝田車両センター図鑑 > 415系1500番代
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  • 国鉄からJRへ
    415系1500番代は1986年3月に登場したステンレス車両で、車体構造は211系に準じています。
    415系鋼製車と連結して運転することを視野にいれ、使われている機器は500番代や700番代と同じになっています。なので車両形式は415系から変更されず、ロングシートの500番代に1000を足した1500番代として区分されました。そして403系の先頭車の車番が小山寄りが偶数、原ノ町寄りが奇数になっているのを踏襲し、1500番代の先頭車も小山寄りが1600番代、原ノ町寄りが1500番代になっていました。

    本来は勝田電車区にのみ配置して100番代を九州へ玉突き転属させる予定でしたが、九州の古臭い電車を直接置き換えるために13本(52両)が南福岡電車区に配置されました。九州への投入で不足した分を補填しようとした際、国鉄が民営化して日本旅客鉄道株式会社が発足します。この転機によって勝田電車区の1500番代は国鉄型とJR型に分類されることになります。見た目に大きな違いはありませんが、周波数は50Hz専用となったため、九州で走ることはできません。

    編成はクハ415-1901を組み込むK880編成を除いて全て4両編成で、19本(76両)とK880編成の8両、そして700番代との混結編成のK820編成の5両を含めて計89両が配置されました。
    定員は1号車が142人、2号車が156人、3号車が150人、4号車が132人の計580人となっています。


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  • 車内設備
    列車は上野・小山寄りが1号車、原ノ町寄りが4号車で、3号車が弱冷房車になっています。
    トイレは1号車に設置されていますが、和式なので車椅子に対応していません。座席はすべてロングシートですが、トイレ前のみ妻面側に背もたれがある2人掛シートになっています。

    車椅子・ベビーカースペースはありません。優先席は各車両とも上野寄り(小山寄り)で、1号車のみトイレ入口の斜め前の座席となっています。ただしK543編成(クハ411-1633)のみ、トイレ入口前の座席が優先席になっています。優先席付近のつり革は黄色になってるほか、座席自体の色も違うので見た目で違いが分かります

    1997年3月までは普通列車の車内でも喫煙が可能だったため、車内には灰皿が取り付けられていました。ロングシートである1500番代では座席毎に灰皿を取り付けることはできず、各車両の両端に2個ずつ、計4個設置されていました。禁煙となると灰皿は撤去されましたが、その跡はくっきり残っていました。そのほか、国鉄型とJR型では唯一、車内にパッと見で分かる違いがあって、国鉄型の網棚はその名前の由来ともなった網目状になっているのに対し、JR型はパイプ状になっています。
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  • 運用
    運転区間はJR常磐線の上野−原ノ町とJR水戸線で、鋼製車の付属編成として扱われてきました。運用も鋼製車と共通だったため特に決まった運用は無く、ボックス席に座りたい気分の時にやってきたり、朝の通勤ラッシュに来てくれなかったりと利用客を翻弄してきました。2007年3月のダイヤ改正で鋼製車が引退し、上野−土浦がE531系で統一されると運用範囲は小山−原ノ町となりました。

    2011年3月11日に発生した東日本大震災によってJR常磐線は長期にわたり運転を見合わせます。いわき以北の運転再開においては、4月17日に四ツ倉駅まで運転が再開された際、当時一番営業距離の長かった小山−いわきの水戸線直通列車の一部で特別ダイヤが組まれ、四ツ倉発小山行きという列車が約1ヶ月間運転されました。10月10日には広野駅まで運転を再開しましたが、2016年3月25日の引退までには竜田駅までしか運転再開されず、再び原ノ町駅に入線することは叶いませんでした。
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  • 廃車(前期)に伴う組み換えと転属
    最初に紹介したとおり、勝田電車区には4両編成以外に8両編成のK880編成がありました。8号車のクハ415-1901は2階建て先頭車両の試作車で、JR東海道本線などで活躍した215系の設計基礎となっています。このうちクハ415-1901のみ2007年3月を待たずに廃車となったことで、1〜4号車はK544編成(クハ411-1634 + モハ414・415-1534 + クハ411-1534)として独立し、6・7号車のモハ414・415-1535は不調と噂されたK532編成のモハ414・415-1522と組み換えられ、排出されたモハ414・415-1522は他の編成と組み換えを繰り返すも2007年秋に廃車となっています。5号車のサハ411-1701もすぐには廃車にならず、鋼製車との組み換えを続けて共に最後を迎えました。

    クロスシート車両という特異体質のサハ411-1601と2両の鋼製車(700番代)を組み込んで基本編成としていたK820編成も、鋼製車の引退を前にした度重なる組み換えによって本来の編成(クハ411-1603 + モハ414・415-1503 + クハ411-1503)に戻されました。この時、K526編成がK880編成のモハ414・415-1522(K532編成から排出)と組み換えてK626編成としていたことから、空いたK526編成の名を継承しました。サハ411-1601はK810編成やK811編成に組み込まれて2007年3月で引退、その後廃車となりました。この時点で1500番代は21本(84両)となり、編成本数だけ見ると逆に2本増えました。

    K626はモハユニットを再びモハ414・415-1502に組み換えて本来の姿に戻りましたが、編成番号は引き続きK626編成として訓練車になるという噂(一部雑誌でも取り上げ)がありました。しかし実現せずに2009年7月に廃車されました。また、その1ヶ月半前にはK526編成を引き継いだ元K820編成の4両も廃車となっています。そして予想外だった2008年12月のK525編成の九州転属もあり、最終的に18本(72両)となりました。



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  • 東日本大震災で運命が分かれた2本
    2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震でJR常磐線は広い範囲で被害を受けました。地震発生当時、K534編成は原ノ町に停車中、K544編成は広野駅付近を走行中で、被災区間に取り残されてしまいます。しかしながらいわき界隈の復旧は早期に実現し、地震から7ヶ月が過ぎた10月10日には広野駅まで運転が再開されました。このときK544編成は復旧作業の都合で広野駅構内に留置されていて、運転再開を前に勝田車両センターに里帰りすることができました。ただし原子力災害レベル7の事故を起こした福島第一原子力発電所から一番近い場所にいた車両だけに、健康には影響が無いレベルだとしても放射線量は比較的高く、厄介者として運用には就けませんでした。
    事態が動いたのは2013年7月。1年9ヶ月もの間、何の音沙汰も無かったK544編成でしたが、整備のため郡山総合車両センターへ入場。労組によると内部ではいろいろあったようでしたが、綺麗になって戻ってきて運用に復帰しました(それでも他の編成より放射線量は若干高かったようです)

    K534編成は原ノ町駅に留置され続け、勝田車両センターに戻ることなく2015年度の廃車対象となりました。依然として相馬−亘理が不通だったため、トレーラーによる陸送で郡山総合車両センターへ運ばれました。作業は2016年3月15日深夜に行われ、まずはクハ411-1624とモハユニットの計3両を搬出。続いて18日深夜に残りのクハ411-1524が651系K202編成の一部と共に搬出されて廃車となりました。


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  • 415系の終焉と廃車(後期)
    2017年度を目処に全車をE531系に置き換える計画で、2014年12月には最古参のK527編成が故障したまま廃車となり、さらにJR型の1番手だったK532編成も2015年2月に廃車となりました。2015年度もE531系の増備が続き、徐々に運用は減少していきました。それに合わせるように廃車も進み、原ノ町駅のK534編成を含めて5本(20両)が年度内に廃車となり、11本(44両)で最後を迎えることになります。
    そして2015年12月18日、北海道新幹線開業を踏まえた2016年3月26日のダイヤ改正が発表され、改正内容に415系1500番代の引退も含まれていました。定期運用は2016年3月25日まででしたが、3ヵ月後の6月25日にびゅうプラザいわき駅の計らいで、団体列車「ありがとう415系号」がいわき−竜田で運転されました。

    引退後は腫れ物扱いだったK544編成が真っ先に廃車となったのを皮切りに、順調に廃車が進むかと思われましたが、K540編成とK537編成が電気機関車に牽引されて秋田総合車両センターへ入場しました。詳細が明るみに出ることはありませんでしたが、205系の海外輸出が一旦途絶えた時期があり、そのつなぎとして415系1500番代を海外に送る計画があったとかで秋田へ運ばれたなんて噂もあります。しかしそれも現実になることは無く、全車が解体されて東日本から415系は形式消滅しました。
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